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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)3275号 判決 1980年8月04日

原告 安鐘永

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 片山主水

被告 千代田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 伊藤祐太郎

右訴訟代理人弁護士 内河恵一

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金一六七万三五七〇円及び右各金員に対する昭和五二年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、それぞれ金七五〇万円及び右各金員に対する昭和五二年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五二年六月八日午前四時二五分ころ

(二) 場所 名古屋市南区上浜町三〇番地路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(名古屋五五は四九〇四号)

右運転者 訴外青木一浩(以下「訴外青木」という)

(四) 被害者 安正道(以下「正道」という)

(五) 事故の態様 正道は前記日時場所において、訴外青木の運転する加害車に同乗中、同車が道路右端の電柱に衝突したことにより、頭部外傷等の傷害を受け、同日死亡した。

2  責任原因

訴外碓井自動車株式会社(以下「訴外会社」という)は、加害車について自賠法三条の定める「自動車を運行の用に供する者」であり、正道は同条の「他人」に該当する。すなわち、

(一) 昭和五二年六月七日夜、正道は友人宅で前記青木に会い、夜一〇時頃まで遊んだ後、その帰路、友人と三人で近くの公園の廃車トラックの中で翌八日朝方までシンナーを吸い、青木と二人でボーッとしながら訴外会社のところまで来たところ、路上に半ドアのまま訴外会社所有の加害車が放置してあったので、どちらからともなく、訴外青木が運転席に、正道が助手席に乗り込んだ。

(二) 訴外青木は、たまたまキーがつけたままになっていたので、運転ができず、無免許であるのに、そのキーを回し、加害車を運転し、すぐに電柱に衝突した。

(三) 正道は、加害車に乗り込む前後において、キーがついていること、訴外青木が運転するであろうことは予測しておらず、運行支配も、運行利益もなかった。

3  保険契約

訴外会社は、昭和五二年六月六日、加害車につき、被告と保険金額金一五〇〇万円の自賠責保険契約を締結した。

4  損害

(一) 逸失利益 金一二七三万六一四八円

正道は、死亡当時一六歳であり、一八歳から六七歳まで、少なくとも毎月金九万一八〇〇円の平均給与額を得られたはずであるから、生活費割合を五〇パーセントとして、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸失利益の現在額を算定すると次式のとおり、金一二七三万六一四八円となる。

91,800×(1-0.5)×12×23,123=12,736,148(円)

(二) 慰謝料 金五〇〇万円

5  原告安鐘永は正道の父、同朴玉伊は正道の母であり、被告に対する正道の損害賠償請求権を各二分の一づつ相続した。

6  よって、原告らはそれぞれ、自賠法一六条により、被告に対し、右損害のうち保険金限度内である各金七五〇万円及び原告らが被告に対しその支払催告をした日の後である昭和五二年九月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、訴外会社が加害車を所有していたことは認めるが、その余は否認する。すなわち、正道は、訴外青木の運転を阻止することが十分に可能であったのに、何ら制止させる言動をとらず、事故発生という危険の実現に加担したものであるから運行供用者であり、またその運行支配・運行利益は訴外会社に比べ、はるかに直接的・顕在的・具体的であるから、正道は訴外会社に対する関係において「他人」には該当しない。

3  同3の事実は認める。

4  同4、5の各事実は知らない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実及び訴外会社が昭和五二年六月六日その所有にかかる加害車につき被告との間に保険金額金一、五〇〇万円の自賠責保険契約を締結していたことについては当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、他にこれを覆すに足る証拠はない。

1  訴外会社は名古屋市南区上浜町三六番地において自動車販売修理業を営む会社であり、同所に事務所、修理工場、展示場等を設置している。付近一帯は自動車工場や一般住宅等が連なっており、右事務所等は幅員約七・五メートルの道路に接して建てられている。

2  訴外会社は本件加害車ほか数台の自動車を所有し、自動車修理や道路運送車両法に基づく運輸大臣の検査(いわゆる車検)の依頼があった際、依頼客に対し、右加害車等を代車として提供するなどの業務に使用し、通常は前記修理工場内や展示場などにこれを保管していた。

3  昭和五二年六月初め、訴外会社は加害車につき車検を経て、前記自賠責保険契約を締結するとともに、引続き業務に使用していた。

4  訴外会社の従業員である河合敏雄は、同月七日午後七時四〇分頃、出張先から訴外会社に戻った際、いまだ訴外会社社長碓井隆清が事務所に残っていたが、同人は常日頃帰宅するに際しては、訴外会社にある自動車を使用していたので、右河合は社長が帰宅に利用できるようにとの配慮から、加書車を前記道路の訴外会社の事務所とは反対側の路上に駐車させ、キーを差込み、ドアをロックせずに、半ドアのまま放置した。

5  右碓井は、翌八日午前一時半ころまで前記事務所で客と応待をしていたが、その後、右客と食事に出かけ、加害車が右道路上に放置してあることを知りながら、これをそのままにして、前記客の車で帰宅した。

6  一方、訴外青木は、正道の友人で、ともに中学校を卒業したばかりの一六歳の少年であり、一時期一緒にアルバイトをしたこともあり、またともにシンナーを常用していた。また、二人とも普通自動車の運転免許を取得していなかった。

7  昭和五二年六月八日午前零時過ぎ頃から訴外会社の東方にある名古屋市南区元鳴尾町星崎第二公園前路上に放置してあった廃車の中で訴外青木と正道は各自コップ半分ほどのシンナーの入ったビニール袋を口にあててこれを吸い始め、途中その友人松原がこれに加わり、周囲が明るくなりはじめる頃まで吸い続けていた。

8  同日午前四時過ぎ頃、帰宅しようとシンナーの入ったビニール袋を手に持ったまま右三名は歩きはじめ、途中松原は別れ、訴外青木は正道とともに加害車の駐車地点にさしかかったが、訴外青木は、加害車のドアが半ドアになっていたので、これを開き、運転席に乗り込み、正道は助手席に乗り込んだ。そして、訴外青木は、正道とともに約五分から一〇分位の間加害車内でシンナーを吸っていたが、そのうちに加害車にキーが差し込んであるのを発見し、これを盗んで帰宅しようと考え、スイッチを入れ加害車を発進させた。その際、訴外青木はシンナーの入っているビニール袋を助手席にいる正道に「持っていてくれ。」と言って手渡したか捨てるかしたが、他に特に正道と話しをすることはなかった。

9  しかし、訴外青木はシンナーのため意識はもうろうとしており、また、自動二輪車には何回か乗ったことがあるが、自動車については殆んど運転した経験のないことから、発進後すぐに右折したものの、前記駐車地点から一五七メートル程進行したあたりで、時速約四〇キロメートルで進行方向右側にあるコンクリート製電柱に正面から激突し、本件事故を惹起した。

二  そこで、以上の事実をもとに、訴外会社が加害車の運行供用者であるか否かについて検討してみる。

右事実によれば、訴外会社従業員河合は、同社社長碓井の使用の便に供するため、加害車をキーをつけたままロックもせず、半ドアの状態で公路上に放置し、右碓井は右放置されていることを知りながら何らの措置も採らなかったこと、本件事故は、その間に訴外青木の運転行為が介在しているとはいえ、僅か百数十メートルの距離を走行して惹起されたものであり、これらの点をあわせ考えると、運行支配・運行利益は、いまだ訴外会社に帰属しているものというべきであり、訴外会社は、本件加害車の運行供用者であるといわなければならない。

三  次に、正道か訴外会社に対する関係で、自賠法三条にいうところの「他人」に該当するかどうかを検討するに、前記認定の事実によれば、なるほど正道は訴外青木とともに加害車に乗り込み、助手席に坐ったまま事故に至ったとの事実は認められるものの、他方、正道が加害車に乗りこんだ目的がその中でシンナーを吸入することにあったこと、正道も訴外青木もシンナーの影響で正常な判断状態ではなかったところ、加害車への乗りこみ後二人の間で特に会話らしいものがなかったことが認められ、これらの事実を総合して考察すると、訴外青木による加害車の運行について、正道にその利益を享有する意思や運転行為に加担する意思があったとは認められず、他に正道に訴外青木とともに加害車を窃取し、自己の支配に置いたというべき事実を認めるに足りる証拠はない。そうだとすると、正道において少なくとも訴外会社より以上の直接的・顕在的・具体的な運行支配があったものということはできず、結局、正道は訴外会社に対する関係においてなお「他人」であると解すべきである。

四  しかして、訴外会社が加害車につき原告ら主張の自賠責保険契約を締結していたことについては、前記のとおり当事者間に争いがなく、前段説示するところによれば、自賠法三条の規定により保有者である訴外会社の損害賠償責任が発生したことになり、被害者である正道は被告に対し、保険金額の限度において損害賠償額の支払をなすべきことを請求することができるものといわなければならない。

五  そこで、正道の被った損害について検討する。

1  《証拠省略》によれば、正道は昭和三六年二月一九日生れの男子で、事故当時中学校卒業の一六歳であり、かつ、父親の営む土建業の手伝をしていた事実が認められ、右事実と当裁判所に顕著な賃金センサス昭和五二年第一巻第一表によれば、正道は、本件事故により死亡しなければ、少なくとも、原告ら主張のとおり、一八歳から六七歳まで毎月九万一八〇〇円を下らない収入を得られたはずで、生活費は収入の五〇パーセントとみられるから、右生活費を控除し、年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸失利益を算定すると、次式のとおり金一二七三万五七〇七円となる。

91,800×12×(1-0.5)×(24.9836-1.8614)=12,735,707(円)

2  本件事故発生に至る経緯、訴外会社の加害車に対する保管状況、本件事故の態様などを総合すると、正道の慰謝料は金四〇〇万円とみるのが相当である。

3  ところで前記三において検討したとおり、正道は、訴外会社に対し他人性を失わないものの、前記一の認定事実によれば、訴外青木とともに訴外会社に無断で路上に放置してあった加害車に乗り込み、その結果、訴外青木による無免許で、かつ、シンナーのために正常な状態でない運転行為を招き、本件事故に至ったものであるから、衡平の理念に照らし、過失相殺の規定を類推適用して損害の量的制限を図るのが相当であると考えられ、その他本件証拠に表われた諸般の事情を総合すれば、正道の請求しうる損害額は全損害額の二割に当る金三三四万七一四一円とするのが相当である。

4  しかして、《証拠省略》によると、正道は韓国籍であり、原告両名は正道の両親であることが認められ、右事実によれば、正道の死亡により原告ら両名は相続によりそれぞれ二分の一宛の金一六七万三五七〇円(円未満は切捨て)の損害賠償請求権を取得したものといわなければならない(韓国民法一〇〇〇条、一〇〇九条)。

六  よって、原告らの請求は被告に対し、それぞれ金一六七万三五七〇円及びこれに対する《証拠省略》により被告が自賠責保険金の支払請求を受けた後であることが認められる昭和五二年九月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白川芳澄 裁判官 成田喜達 大塚正之)

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